偉大な経営者・稲盛和夫が遺した功績や生き方とは

偉大な経営者・稲盛和夫が遺した功績や生き方とは

多くの経営者から尊敬・崇拝されている稲盛和夫さんが、2022年8月24日に逝去されました。稲盛和夫さんと言えば、京セラの創業者であり、JALを再建した敏腕経営者でもあり、稲盛塾も立ち上げました。

稲盛和夫さんがなぜ経営の神様と言われるようになったのか、残した大きな功績や生き方をまとめていきます。

稲盛和夫の経歴まとめ

まずは、稲盛和夫さんの生涯をまとめていきます。

1932年(昭和7年)

鹿児島県鹿児島市薬師町に、7人兄弟の次男として生まれました。

1955年(昭和30年)

鹿児島県立大学工学部を卒業後、有機化学の教授の紹介で松風工業に入社。ファインセラミックスの研究に没頭します。

1959年(昭和34年)

松風工業社員8人を引き連れ、京都セラミック(現・京セラ)を京都で創業。

1983年(昭和58年)

若手経営者の勉強会「盛友塾」(その後、盛和塾)を開塾。若手経営者の育成に尽力しました。この盛和塾は、2019年に稲盛さん自身が高齢であったことを理由に解散しています。

1984年(昭和59年)

京都賞の創設。科学や技術、思想・芸術の分野に大きく貢献した方々に贈られる日本発の国際賞であり、「科学や文明の発展と人類の精神的深化のバランスをとりながら、未来の進歩に貢献したい」という稲盛和夫さんの意思が色濃く反映されています。

民間初となるDDI(第二電電)を設立。このDDIは、後にケイディディや日本移動通信と合併し、今日の「KDDI」となっています。

1998年(平成10年)

複写機メーカーの三田工業が 経営に行き詰まり会社更生法の適用を申請した際、三田工業からの要請により、京セラは三田工業の支援を表明。「京セラミタ」として、業績回復に着手。現在では、京セラの中核事業にまで成長しています。

2010年(平成22年)

2月に日本航空会長に無報酬で就任。「JALフィロソフィ」の策定など、積極的な社員の意識改革に取り組み、2011年には営業利益1800億円の高収益企業に生まれ変わらせることに成功。赤字続きだった日本航空を3年足らずで再上場させました。

稲盛和夫さんの人物像

仕事に打ち込み、周りを幸せにする

京セラの創設、DDIの設立、三田工業、JAL全てに一貫して言えることは、どれもお金儲けがしたくてやっているのではないと言うことでしょう。

あるインタビューで稲盛和夫さんは、人生で1番大切なことは「利他の心、皆を幸せにしてあげたいと言うことを自分の中で強く意識して、それを心の中に描いて生きていくこと」と答えられていました。

この考え方は、稲盛和夫さんの本からも大いに感じることができます。有名な書籍に『生き方』『働き方』『京セラフィロソフィ』などがありますが、その中にもやはり「まじめに一生懸命仕事に打ち込む」「常に謙虚であらねばならない」「利他の心を持つ」など、道徳の教科書かと思うような文言が並んでいます。いつの時代でも大切にするべきエッセンスが満載です。

食事はかなり庶民的

稲盛和夫さんほどの経営者であれば、高級なお店でお食事をされていたのかと思いますが、実はそうではありませんでした。マクドナルドなどのファストフードを強く好み、特に吉野家の牛丼をよく食べていたそうです。サッカー選手のラモス瑠偉さんを京都サンガへ勧誘する際の接待でも吉野家を利用したというのは有名な話ですよね。

 

稲用和夫の三大功績

稲盛和夫さんが残した大きな功績と言えば、「京セラ」「KDDI」「JALの再建」です。それぞれ詳しくご紹介していきます!

① 京セラ

稲盛和夫さんが創設した日本が誇る世界的メーカー「京セラ」。京セラは、1959年にファインセラミックスの専門メーカー「京都ミック株式会社」として、京都市に設立されました。今でこそ部品メーカーだけでなく、事務機器、通信など様々な分野に事業展開をしていますが、その根本はセラミックの会社です。

稲盛和夫さんが、京セラ 社長として会社を経営していくにあたり、大切にし、社員にも浸透しているのが「京セラフィロソフィ」と「アメーバ経営」です。それぞれについて簡単にまとめていきます。

京セラフィロソフィ

京セラフィロソフィとは、「人間として何が正しいのか」「人間は何のために生きるのか」 という根本的な問いに真正面から向かい合い、様々な困難を乗り越える中で生み出された、仕事や人生の指針であり、京セラを今日まで発展させた経営哲学です。

そして、この京セラフィロソフィは

  • 会社の規範となるべき規則、約束事
  • 企業が目指すべき目的、目標を達成するために必要な考え方
  • 企業にすばらしい社格を与える
  • 「人間としての正しい生き方、あるべき姿」を示す

の4点から構成されています。

アメーバ経営

アメーバ経営とは、現場の社員ひとりひとりが主役となり、自主的に経営に参加する「全員参加経営」を実現する仕組みのことです。組織を「アメーバ」と呼ばれる小集団に分け、各アメーバのリーダーが中心となって自らのアメーバの計画を立て、メンバー全員が知恵を絞り、努力することで、目標を達成していく仕組みです。この仕組みは京セラだけでなく、子会社や、稲盛和夫さんが再建に携わったJALでも取り入れられています。

② KDDI

1984年6月に発足した、携帯電話大手のKDDIも稲盛和夫さんが創設した会社(第二電電(DDI))が元となっています。1985年4月に施行された電気通信事業法により通信が自由化されたことで、電電公社(現 日本電信電話株式会社(NTT))の一社独占であった通信市場に価格競争の概念を持ち込みました。

1987年からは市外電話サービスも開始し、1992年には市外電話サービスの全国ネットワークを完成させたことで、現在の電話・通信の礎を築きました。

③ 日本航空(JAL)再建

2010年1月、日本航空(JAL)は2兆3,000億円という戦後最大の負債を抱えて、会社更生法の適用を申請、事実上倒産しました。

そのJALを再生させるため、政府から強い要請を受け、同社の会長に就任したのが稲盛和夫さんでした。この無謀とも思えるような要請を受け入れた背景には「二次破綻による日本経済全体への悪影響を食い止めること」、「残された社員の雇用を守ること」、「正しい競争環境を維持して国民の利便性を確保すること」の3つの意義があると考えたからだそうです。

京セラのフィロソフィとアメーバ経営を元に、それまで赤字続きだったJALを再建し、2011年には営業利益1,884億円をあげ、世界の航空業界の中で最も高収益の会社に生まれ変わらせることに成功しました。そして、2012年9月にわずか2年8ヶ月で再上場を果たします。

まとめ

今回は、2022年8月24日に亡くなった稲盛和夫さんが残した功績や稲盛さんの生き方についてまとめてきました。今回実感したのが、稲盛和夫さんの偉大さであり、その功績や行動は自分だけでなく周りの人への気遣いからなされていることでした。

稲盛さんの本は経営者だけでなく、新入社員や、これから就職を控える大学生にもぜひ読んでもらいたい内容です。もしかしたら「こんなこと時代遅れだ」と感じるかもしれませんが、書かれていることを心のどこかに留めて仕事をしていくと「あの本に書かれていたことはこういうことだったのか」と気づく時が必ず来るでしょう。